逃げ出したかった、怠け者の自分 ~その3~

<前回のお話>

私は母に、状況を説明しました。
小さな自分は、それでももじもじしてなかなか出てきません。

少し間をおいて、ようやく小さな自分が母にお漏らしのことを伝えました。

「・・・あのね、おねえちゃんなのに、お漏らししちゃったの。」

それを母に伝えると、母は笑っています。
「しょうがないわねぇ。でも正直に言えたね。偉いね」
そんなことを言っているようです。

どうやら母は、私が昔隠蔽していたことを知っているようでした。
そして、お漏らししたことよりも、正直に話さないことの方に怒っていたようなのです。
当時小さかった私は、そんなことはわからず、お漏らし=怒られると思っていたのでした。

ようやく誤解も解け、晴れて「癒された過去の自分」と一緒になれるかと思いきや。
小さな自分は、まだ何か隠しているようです。

私は、生徒さんにちょっと待ったをかけ、この小さな自分が本当は何を言いたいのかを聞いてみることにしました。

「・・・あのね、じゅんこちゃん、おねえちゃんなの。」
「・・・けんちゃんいるから、おねえちゃん、なの。」
(けんちゃんは、私の弟のことです)
「・・・おねえちゃんだから、頑張らなくちゃいけないの・・・」

そこで歯にモノが挟まったような言い方で、もじもじしています。
さらに一押し、「本当のことを言ってごらん。怒らないから大丈夫だよ。」
すると、

「・・・ママにだっこしてほしいの。。。」

そういって、小さな私は泣き出してしまいました。

この意外な答えに、当の本人もびっくりしてしまいました。
まさにこの小さな自分は、おねえちゃんであるという強力なブロックを、こんなに小さなころから持っていたのです。そして、自分の気持ちを正直に伝えることもできず、「おねえちゃんである」という存在意義を示して、母親の関心や愛情を引こうとしているのでした。

そういえば、弟が生まれる前のことを、今でもよく覚えています。
当時の私は、まだ2歳になったばかりでした。

弟が生まれる前、母が近くの病院に入院して会えなくなってしまったこと。
お見舞いに行っても、なんだか周囲が物々しくて落ち着いていられなかったこと。
毎晩夢で、母が工事現場に行って帰ってこない夢を見ていたこと。
夢の中で探しに行って、ようやく母を見つけても、穴の中でひたすら作業するだけで、こちらを全然見てくれないこと。

そして弟が生まれた当日、うれしくて、恥ずかしくて、弟の顔を見ることができなかったこと。

こんなに鮮明に覚えているぐらい、子どもにとって「下の兄弟」ができる前後の出来事は強烈な記憶として刻まれているのです。

そして、
おねえちゃんだから、頑張る。
おねえちゃんだから、頑張ってるところを見せて、ママに褒めてもらう。

これが小さな私が当時作り出した結論で、一つの「逃げ道」だったのです。

<その4に続く>

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